2012年7月3日火曜日

東京との違い その1

明け方の凄い雨音
今は嘘の様に静かになり、ときおりウグイスの声が聞こえて来ます
空は灰色、まだまだこれから降るのかもわかりません
視界に緑が占める割合がどんどん多くなりました


社会一般にパソコンが普及したのは、ここ吉備高原に来てからだったと思いますが、
パソコン黎明期は、東京で暮らしていました
新製品発表の度、速度、メモリーなど容量が倍々で増え
「出来たらいいな〜」が次々に実現されるようなワクワクとした期待感とともにあったように思います
毎週のように秋葉原の街を歩き
月刊の専門誌の発売が待ち遠しかった頃です


「日本画」ってどんな絵を言うのか?
絵の善し悪しとははたして何なのか?
伝統とは具体的に何の事なのか?

描かれた対象、描く技術、描く材料、描き方
気になる絵を手がかりに捜す日々でした

多くの美術館、博物館、毎週のように開かれる展覧会、様々な催し
絵の具、筆、和紙など材料を扱う様々なお店

いくつもの大きな本屋さん
専門の古書を扱うお店

様々な人との出会いが刺激となりました
それは関わる日本画だけにとどまることではなく、コンピューター、CG、ネットワーク構築、利用、デザイン、、、、、興味は次々と広がったのです。

次から次に自分の知らないモノと出会える刺激
否応の無い刺激



実際に描いてみて試す
解らないから描いてみる

技術的なものがそこそこ実現されて来た頃、私の中で大きく膨らんで来た不満がありました

<昔の人は自然の側で暮らし、じっくりと触れ合って描いていた>

<鶏を描くのに鶏を実際に飼い、一年間にもわたって眺めて暮らした>若冲の話を持ち出すまでもなく、じっくりとそんな時間を作って描いてみたいと思い始めていたのです

東京脱出

東京を離れるにあたって先ず考えたのは
<東京の時間>の影響を受けにくい所ということでした
東京近郊、少々離れて暮らしたとしても交通手段の便利さは、否応なく<東京の時間>の要求に応えられてしまいます。昔の人と同じ様な時間を体験しないことには解らない何かの存在、自分自身に「いいわけ」の出来ないような条件設定を試みようと思った訳です

一方、ワクワクドキドキのパソコン、テクノロジとの縁は?
ネットインフラが普及し、高速な通信環境が個人で使えれば、、、、
(当時はまだパソコン通信と呼ばれた時代でした。電話回線を使ってテキストベースで通信していた頃です)自然と暮らしていても、、、、。

都合良く?そんな事を考えてのことでした(あさはかですネ^^;)

不思議な縁からここ岡山の吉備高原都市の開発を知り、土地を求め、アトリエを建てる計画を進めていた頃、阪神淡路大震災がありました

東京でもし何かあったら、、、

「安全と安心」、もちろん地震、都市災害のリスクについてや、食の安全ということもあるでしょうし、今なら放射能の影響といったことも含めて捉える事が出来るかもわかりません。

子育て、教育といったことでも考えました
東京は編集、消費の場所、そんなことを考えていたのです

また、漠然とではありましたがなんでも便利にすること、欲求の実現が贅沢なことに感じられ、この豊かさが続くはずが無いのではないか、そんなことを考えていたのです

雨がまた凄くなったようです(続きはまたあらためて)

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