2010年8月30日月曜日

夕立のあと

確かにまだまだ暑い日が続いています。

それでも、ふと風が変わったことに気づいたりします。

凄い雨、雷が通り過ぎて行きました。

道路から立ち上る湯気。


暗くなった窓の外から遠雷。

ひんやりとした風ととも虫の声が聞こえてきました。

2010年8月25日水曜日

雲二題

暑いです。
ここ吉備高原で暮らす様になって一番かも?という暑い夏です。
いつもならとっくに涼しくなって、夜は寒いほどの時期ですが、
未だ日中ははめちゃくちゃ暑いです。

ただし、ここ数日は夕方から夜にかけて幾分涼しくなりました。
眠りも深くなった気がします。

夕立を期待する入道雲。
一昨日降ったおりは、これ幸いにと雨樋の掃除も行いました。

ここ二日、ニョキニョキ大きくなるものの夕立にはいたらず。
雨の恋しい、木々、植物の様子です。

2010年8月24日火曜日

耕すこと

「カルチャー」の語源は「耕す」ことだったとか。
「Culture」の訳語が「文化」だとすると「文化とは耕すこと」と、単純に言い換えられるかも?と思うと、なんだかホッとします。
「耕す」という言葉からイメージする営み、自然との関係の作り方。

もともと「文化ってなんだろう?」という問いを抱くかどうか?、またその問いに対してどのような言葉、解釈を与えるか?

とりまく自然環境が使用する言葉に及ぼしてきた影響、
自然との関係の中で言葉も耕やされてきたように思うのです。

「哲学」という学問が生まれた頃、自然との関係を中心に据えていたと聞いた事があります。
しかしその後、哲学はこういったことを考える人間自体、考えさせる社会をテーマとしたとかしないとか。

「日本画」という言葉を考えるとき、単に絵画、個人の個性的な表現方法としてのみならず、「長い時間、自然と人間の関係の作り方、つきあい方」をも含んだ価値観として、また「水の性質」に沿って描くことによる普遍性をもった存在と捉えられるのではと思っているのです。

出会い

新聞を見ていてとある記事が眼にとまりました。

たしかに新聞を購読していなくとも、インターネットが利用できる環境にあれば、誰もがこの内容の記事を参照する事が可能である事は理解できます。
しかし、私自身のことを考えると、おそらく自分からは積極的に検索はしないであろうジャンル、その記事との出会いは、新聞というクラシックな紙のメディアを「ただめくりながめる」という日常の習慣から得られた事、出会いの様に思うのです。
こういったことは、週刊誌、雑誌でもあります。目的の部分を読み終えた後、ただ眺めているときに「出会ってしまう」こともあるのです。

ネットでも「ただめくりながめる」という感覚に近い感じを得る場合もありますが、それは「ある種のテーマについて探す過程で」というような但し書きがついた場合がすくなくとも私の場合は多いように思います。古くは、ネットワーフィンなんて言葉がありましたが、検索機能が便利になり、ネットの利用が一般化するにつれ、情報への最短距離がどうしても優先され、またそれが当たり前になったように思うのです。

iPadでの電子出版。
物理的な紙の上での新聞、雑誌のような古いメディアスタイル。
アプリとしての流通、編集の行われたパッケージメディアとしての流通に期待がかかっているとか。

何が重要で、何が面白いか。
確かに決めるのは自分自身かも分かりませんが、個人サイトのやり方とも違う、また専門サイトとも違う、それでいて見せ方、興味の惹き付け方も違う「出会ってしまう」作り。

直線での情報アクセスだけではなく「出会い」をどう生み出せるか。



2010年8月22日日曜日

夕立のあと

猛暑日がこれで九日続いたとか。
雷の音はすれども降らず、、、、、待ち遠しい日々でした。

やっと夕立がありました。
久しぶりです。
まとまった雨の後、道路から立ち上る湯気
西の空の劇的な事

ふと気づけば
山桜の葉が色づいていました。

2010年8月21日土曜日

夕雲

遠雷

今日こそは雨が!と期待して待つものの
雲は途切れて、消えてしまいました

これで何日続いているでしょう

先日津山では凄い雨が降ったそうです
少し離れているだけなのですが、こちらは相変わらずの天気でした

地面が乾燥し、ひび割れが眼につく様になりました
植物にとってもきつい夏です



2010年8月19日木曜日

行く夏

気温が35度を超す中、山から海へ。
ことのほか遠望が利く瀬戸内海、四国がハッキリと見えています。

昔はこの小さな港、琴浦港からも四国、坂出に向かうフェリー航路がありました。
もっと昔、お隣田の口港からは小さな渡し船があり、夜の海、水面間近の視線から見た暗い海面にいい知れぬ怖さを感じたことを思い出します。

海岸にそってママカリが群れで回遊しているのを見ました。
キス、サヨリ、フグ、思いのほか見えるものです。

ボラの大群!、あれだけいたら捕まえられそうなものですが、、、、
なかなか難しいのはご存知の通りです。

いつのまにかヨット、クルーザー、プレジャーボートの並ぶ
おしゃれな港になっていました。


目的は墓参り。
強い日差しを避けての時間としました。

昔スケッチした場所はいつのまにか緑濃い森になっており、
どうにか木々の隙間を見つけての遠望です。

正面にみえる富士山型の山。
通称、「讃岐富士」、飯野山です。


上弦の月

ふと空を見上げた時に出会う月。
見やすい時間に見やすい場所に出る月というのは、何時の時代も人間にとって印象深い存在だったのだと思います。




2010年8月15日日曜日

波紋

水面から全てが消えた瞬間

決して強い力が働いた訳ではないのに

2010年8月10日火曜日

ピンク


おととい見た夕焼け空
なんともやわらかなピンク色でした。

雨が降らずカラカラの地面
乾ききって、ひび割れができています。
そこかしこに蝉の穴がたくさん開いていて、よくこんな硬い土に穴をあけて出て来れるものだと感心するばかりです。

今朝、少しだけ雨が降りました。
少し喜ぶ山の緑です。

台風の影響の話もありますが、被害を及ぼさない程度には降ってほしいものです。

2010年8月8日日曜日

星の村

県道72号線、岡山市街地と吉備高原都市を結ぶ通称「吉備新線」

岡山からだと、この峠を越えたら後楽ゴルフ場というちょうど頂上手前で大きく右に曲がる地点。見事な直線の上り坂、左側に竹林を見たら、続くは遠く続く眼下の山々。
右手は、それまで切り立った斜面が終わり、谷をわたる橋を過ぎたあたり。

坂を登りきったあたりから道は、山を正面に右に大きく曲がるのですが、その手前、何台か車が止まれそうな空き地が道路脇にあり、その一番手前、山際に登る道(車一台が通れる舗装路)を100メートルほど進むとため池のほとり、「星の村」に出ます。

今年は水不足とは縁のない満々とした水量。
正面の山頂には星神社(標高422m)、画像正面右側に見える急な坂道を登ります。

さて、この星の村、蓮(大賀ハス)観覧の穴場なのです。

毎年、このシーズンになると立ち寄ります。

つい先日、今年もふらりと立ち寄ってみました。
しかし、なんだか例年と様子が違います。
蓮を見るために整備された八つ橋のようなもの?が木製から合成樹脂に変わり、蓮の数も減ったように見えます。

開花していたのは2輪ほど。蕾は結構ありましたが、蓮全体が少なくなっていました。

そろそろ見頃を迎えます。

真星(まなぼし)
星神社は名前から察せられる通り、隕石と縁のある神社のようです。
詳しいサイトもネットにあるようです。

なかなかそそられるのですが、未だにお参りした事がありません。


2010年8月3日火曜日

山で暮らそうと思ったのは

この土地で暮らす様になり何度夏を経験したのか?

生まれながらにこの地域で生活されている方にしてみればたいしたことの無い時間かもわかりませんが、それなりの時間が過ぎました。

東京で暮らすうち、身近な風景が人の都合でどんどん変わるようになりました。加速度を伴ってのそれは、何時しか私の中で、「別の時間の流れ」、それは、「変わらない存在としての自然のもつ時間」を身近で感じなければならないという強い思いに変わり、東京脱出計画へとつながりました。

自分の絵を描くのに必要だと思ったのです。


正直、暮らしてみて自分の絵の何が変わったかはわかりません。

それでも、

どんな対象でもよいから
日常的に自然とじっくり向き合って描いてみたいという思い以上に、

こうして毎日、空を見上げ、月を見たり、
アジサイの年ごとの変化を感じてみたり、

桜やエゴの木の花着き、松の天候の変化によって変わる姿に気づく様にはなりました。


引っ越して来た当初、あまりに光が違って
見るものの色が変わり、絵が描けなくなりました。

東京で暮らしていた時よりも見るもの全て鮮やかに感じたのです。

こちらで暮らし、描くうち、「水の性質による時間感覚」ということを思う様になりました。
この国では、伝統的な材料、技術が自然との関係によって作られて来たということを実感を持って確信するようになったのです。


私が求めていたのはこうした

「時間との出会い」
「確信」

だったのかもわかりません。


ドキドキわくわくしたパソコンの進化、インターネットの世界。
田舎暮らしの眼には、それらもすこし落ち着いて来た様に見えます。

それでも、きっとまた違った何かが東京ではすでに動き出している事でしょう。

2010年8月2日月曜日

遠い花火の音と下弦の月


あっという間に8月

7月31日、そして昨夜1日と、二日続けての遠い花火の音
そういう季節なのだと思いつつ窓に眼をやれば、

網戸に蝉
雲に反射する花火の閃光、実体は見えず

静かになったこの夜中、
ふと東の窓の明るさに眼をやれば月。

明日は下弦か?
午前一時を回った時計。

思いのほかよく撮れたクラビウス。

80mmアクロマート屈折望遠鏡
+ブローセル20mmアイピース+2倍バロー コリメート撮影
NIKON E4300 F4.9 S1/25  am0:50