2010年8月3日火曜日

山で暮らそうと思ったのは

この土地で暮らす様になり何度夏を経験したのか?

生まれながらにこの地域で生活されている方にしてみればたいしたことの無い時間かもわかりませんが、それなりの時間が過ぎました。

東京で暮らすうち、身近な風景が人の都合でどんどん変わるようになりました。加速度を伴ってのそれは、何時しか私の中で、「別の時間の流れ」、それは、「変わらない存在としての自然のもつ時間」を身近で感じなければならないという強い思いに変わり、東京脱出計画へとつながりました。

自分の絵を描くのに必要だと思ったのです。


正直、暮らしてみて自分の絵の何が変わったかはわかりません。

それでも、

どんな対象でもよいから
日常的に自然とじっくり向き合って描いてみたいという思い以上に、

こうして毎日、空を見上げ、月を見たり、
アジサイの年ごとの変化を感じてみたり、

桜やエゴの木の花着き、松の天候の変化によって変わる姿に気づく様にはなりました。


引っ越して来た当初、あまりに光が違って
見るものの色が変わり、絵が描けなくなりました。

東京で暮らしていた時よりも見るもの全て鮮やかに感じたのです。

こちらで暮らし、描くうち、「水の性質による時間感覚」ということを思う様になりました。
この国では、伝統的な材料、技術が自然との関係によって作られて来たということを実感を持って確信するようになったのです。


私が求めていたのはこうした

「時間との出会い」
「確信」

だったのかもわかりません。


ドキドキわくわくしたパソコンの進化、インターネットの世界。
田舎暮らしの眼には、それらもすこし落ち着いて来た様に見えます。

それでも、きっとまた違った何かが東京ではすでに動き出している事でしょう。

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