2010年9月28日火曜日

秋霖(しゅうりん)

今日(27日)は、午後から雨です。
さっき深夜0時を回りましたが、窓の外の雨音は相変わらず、
かなりの勢いでずっと降り続いています。

秋霖(しゅうりん)という言葉を聞きました。秋の長雨、秋雨のことだそうです。

秋と言えば月、すすき、菊、そして紅葉。

ひと雨毎に寒くなっていく山です。
我が家の栗!、収穫まであと少し。

2010年9月25日土曜日

満月

月を見ました。
雨風の影響で、もう駄目かもと思っていたのに。
ふと気づけば満月です。
(すでに本当はもう欠け始めているのですが、、、)

木々の隙間から、狙ってみました。

遠望。
遠い山並みがくっきりと見えるとともに東の空に雲が広がっています。

接近して来ている台風の影響でしょうか。



大きな空と雲。

雨、風、雷のあと

久々にダイナミックな夕焼け雲を見る事が出来ました。
強い風が吹いたからかもわかりません。
空気が澄んだのかもわかりません。
雨が洗い流したあとの光景です。

厚い雨雲が空を覆い、凄まじい閃光を伴った光の柱が次々に地面に降りてきます。
ときおり真横に走る様な光の筋。

そう、ここ吉備高原都市に越して来た頃よく見た雷の軌道、真横に走る雷です。
凄まじい音、雨が続きました。


むくむくと成長する積乱雲。
頭の上に広がって行きます。

夏の終わり。

2010年9月21日火曜日

空の高さ


日が沈みました。劇的な雲の姿はありません。
空の高さを感じる光景です。

日が暮れるのが早くなりました。



流行?のHDR画像です。
元画像は、一つ前の画像とほぼ同じ時間に東の空を撮影したものです。
近景の山桜の葉、月、そして暮れなずむ空です。


西の光景も処理してみました。

2010年9月18日土曜日

秋の月

この前の日曜日(9月12日)の夕焼けです。
そして明日は、また日曜日。

この一週間、倉敷、児島に出かけたり、岡山市街地に出かけたり、

倉敷市立美術館での佐藤忠良展
かって東京で見た作品も多く、なんだか懐かしさに包まれるようでした。
ストレートな具象彫刻。
それぞれ、ちょうどよい大きさでホッとします。


それにつけても何故、今時発表される作品は、あのように大きいのでしょう。
飾る美術館、ギャラリー、その壁、空間が大きくなったことと無関係では無い様に思います。

たしかに、大きいものもあってもよいのです。
その作り出すエネルギーも認めます。

でも、、、もう一度、大きさについて考えることも必要なように思うのです。


昨夜の月です。
すでに上弦を過ぎました。

夜は寒く感じる今日この頃です。
あと数日もすれば、夕方、東の空に美しい満月を見る事ができるでしょう。

まさしく秋の月です。

2010年9月14日火曜日

虫の音

暑い、暑いと、言っている間に
夜、ふと気づけば窓を開けていると寒いと感じるようになりました。
日の暮れるのも早くなり、午後7時には暗くなるこのごろです。

空が濃い藍色に変わるとともに、輝きを増す月。
三日月を過ぎました。

静かさを気づかせてくれる虫の音。




2010年9月9日木曜日

寒かった夜

台風が通り過ぎ、風が変わった夜でした。

窓は閉めて寝ました。
それでも?これまでの暑さを覚えた体は、「寒い」と感じたのです。

現在(午前十時)の室内温度は、25度。
日差しとともに気温は上がって来ていますが、風は涼しく感じます。


からだの文化

先日、「からだの文化をめぐって」という新聞記事(山陽新聞2010年8月30日文化欄)が眼にとまりました。
学習院大学で「からだの文化-修行と身体像-」という研究発表とワークショップがあったという話を夏目房之介氏が紹介した記事なのですが、行われた演題が
「マンガにおける修行イメージの伝承」夏目房之介さん(戦前から戦後にかけての武道修行表現の変化)
「仏教の修行マニュアルに見る「身体」イメージ」師茂樹さん(仏教の実践的手引き「天台止観」を中心にして身体内部を含む修行身体像)
「日本近代のピアノ教育における身体イメージの剛と柔」大地宏子さん(欧州では19世紀に末に否定された練習法が日本では最近まで墨守され、テレビドラマに見る「大リーグボール養成ギプス」的なレッスン場面なども紹介しての過酷なピアノレッスンのイメージ伝承)
「歩く丹田の系譜」野村英登さん(道教、武道、最近のダイエット法にまでわたる「丹田」を巡る伝承)などなど、、、演題を見ただけでも期待できそうです。

ここのところ身体に関する話は、近代とセットで語られる事が多くなったように思います。

記憶はおぼろですが、一般的な日本人は明治になるまでまともに走る事も出来なかったとか、また、リズムに合わせて行進することも出来なかったと読んだ事があります。教育、訓練によって「出来る様になった」のです。

近代化とともに身体、動きが組み替えられた。


美術教育では、西洋から近代を取り入れ学ぶのに毛筆と鉛筆、どちらを使うか?といったことが問題になったりしました。
音楽におけるピアノと鉛筆を対称させるなら、この場合、鉛筆はある意味それまでよりも楽だったかもわかりません。
毛筆しかなかった頃は、それを使う事が当たり前だったからです。

毛筆と鉛筆、双方、身体に求められることはかなり違う様に思います。

この求められる違い、毛筆の使い方によって開発される身体のあり方が、かってこの国の競争力となる何かしらを作り、担保していたのではないか!
今、そんなことを思ったりしているのです。

残念ながら、現状はというと寂しい限りという事になるのですが、昔々、小学校などで出会った事柄の意味の大きさを今、思います。

※画像は、台風の影響が去った8日夕方の空の様子です。

2010年9月4日土曜日

欠けて行く月


9月に入っても暑い日が続いています。
確かにこのような暑さが続くのは、これまでに経験した事が無い事のように思います。

深夜になって幾分涼しい風が吹いてきました。

ふと外を見ると東の空に月が出ていました。
綺麗な星空です。

月は、これから明け方にかけて天空を横切り、朝には西の山並みへ消えます。
月の出はどんどん明け方に近づき、
あと五日もすれば見えなくなるでしょう。

欠けて行く月。