2012年12月29日土曜日
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2012年12月18日火曜日
仮面 演ずること2
使わなくなった炉壇をいただき、
我が家に茶室らしきものが出来たことはすでに書きました
引きあうようにして、今度は茶釜を
縁というのは不思議なもの 良い風情
先日、アメリカからのお客様を案内して高梁・頼久寺を訪れたおり
ご住職の御好意で、お茶を点てていただくと共に
その場での茶道講座となりました
日本文化、通訳してくださる方の言葉に「あぁ、(こんな単語を)こんなふうに使うのか、、、」と、教えられることしきりでした
庭の砂の模様
「季節によって変わるのですか?」というアメリカからの客人の質問に感心してみたり
(隙なくデザインされたそれは、基本的に変えることはないそうです)
コミュニケーションということを思いました
さて、平田オリザさんの話の中には「人格をタマネギに例える話」なんてのもあって
<タマネギはどこまでが皮でどこからがタマネギということはない、皮の総体がタマネギ 同様に我々は生きていく中で様々な仮面を被っていて、その総体が人格>
<日常生活において「演じる」ということを自分を偽るといったイメージで捉えるために苦しく感じる日本人>
<誰もがそれぞれの場でなにかしらを演じている・その場に応じて自分の役割を演じ分けている>
<「いい子を演じるのに疲れた」という子供に「本当の自分をみつけなさい」というのは、大人の欺瞞:演じるのに疲れない子を育てるのが教育の役割><いろんな場面において、いろんな役割を演じ分けられるようになる。それが大人になるということ。>と続く、週刊文春の対談記事(12月13日号 阿川佐和子のこの人に会いたい )
最後の部分で、おおッ!てなりました。
記事では、平田オリザさんが感じたこの国の演劇、台詞への違和感についても触れられており、その原因として「明治日本が西洋演劇の輸入の仕方に失敗したから・・・・」と続きます。そして、「普通に喋ることとは?」とそもそものはじまりにもどって探す試み、、
<哲学は異なる概念をすり合わせるためのものだった>
<演劇は異なる感性をすり合わせるためのものだった>
<演劇というコミュニケーションの手段が共同体を支え、民主制を支えた>
「ダイアローグ(対話)が必要なとき、必ず演劇の必要性はます」
※ 週刊文春の対談記事(12月13日号 阿川佐和子のこの人に会いたい)より
良い子供の仮面
良い親の仮面
良い人の仮面
やんちゃな仮面
悪い人の仮面
ヒーローの仮面
芸術家の仮面というのもあっていい
もちろんなりきり俳優というのもあり
「芸術家になりきる」ことを目的とする教育、
そのために必要な「技術」、
具体的な取り組み、言語化
てなことを、考えたのでした。
2012年12月16日日曜日
演ずること
何年か前、岡山市街地に向かう車中で聞いたラジオ番組
ゲストは平田オリザさんでした
大学医学部の学生を対象とした授業での話が印象に残ったことを覚えています
確か「身近な人の死を体験せず医者になること」を、問題と思う気持ちに対して、<だからといって医学部の学生に「体験してから来い」というのは違うだろう、また、今という時代が、成長する過程で、なかなかそういったことに出会う機会も少なくなった社会なのだから、積極的に演ずること、その機会を設ける事によって、抱く気持ち、感覚をシミュレーションし、感じ取っていく必要がある。>といった内容だったように思います。
うろ覚えをそのまま書くのもと思い、ネット検索を今したところですが、「コミュニケーション教育」という呼び方でいろいろなところで話されている内容なんですね。
今回、タイトルを「演ずること」にして書き始めようと思ったのは、友人のブログで平田オリザさんの芝居について、彼の思うことが書かれていたから。
それ以外にも亡くなった勘三郎さん、松田優作さんの話などもあり、ここのところ彼の書く演劇についての話が頭の中に残っていたからなのです。
しかし、なかなか話の着地点、自分が何を書こうとしているのかわからないまま、こうして書きだしてしまいました。安直に自分の思っていることに結びつけるだけというのは避けたいですし、、。
平田オリザさんに関する検索を続けるうち
ネットの画像他で見られるあの風貌からは想像もつかない、戦略的な一面を感じたり、、、、、
そして、
平田オリザ講演会『コミュニケーション教育に役立つ演劇ワークショップ』
平成22年7月27日:熊本県立劇場 演劇ホール
というPDFにたどり着きました。
「教育」「コミュニケーション」「シミュレーション」「社会」「言語」「意識化」「能力」「多様性」「生物」そして「地方」「文化の自己決定能力」「格差」、、、、キーとなりそうな単語を並べるだけでもなんとも「今」っぽいです。
「伝える気持ちを持たせる教育」という言葉にグッときました。
「学びのモチベーションを持続する」というあたりも。
いろいろ確かにと思う反面、なんでも演劇に結びつけるのは、、、そして、「エリート」有名大学、大学卒業後と来て、「政治」、ちょっと、、、、とも(私が甘ちゃんなだけなんですが、、)思いましたが、
役割を演じ、その時々を生きて行く事
こうして文字にしてしまうと、なんともあたりまえの演劇用語ぽいそれでしかなくなりそうですが、なんだか自分の中でこの言葉が広がっているのを感じています。
2012年12月10日月曜日
2012年12月9日日曜日
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2012年11月24日土曜日
2012年11月14日水曜日
駆け足 京都
岡山<>京都は日帰り圏内
凍えるような朝、吉備高原を出発して京都に向かいました。
伊勢丹の6階喫茶からみた京都タワーは
初めての視点でグッと来ました。
ご案内いただいたAさんに感謝!。
間抜けなことに写真も取らずそのまま出てしまい
、、、、屋上に登り1枚
今年初見のクリスマスツリー
京都人Nさんの厳しいツッコミ?も聞きました。
京都行きの目的1番は、京都タカシマヤでの稗田一穂展
送っていただいたNさんありがとうございました。
残念ながら先生は来られないとのこと、、。
私も元気で描き続けたいものです。
続いて、何必館 WILLY RONIS展
これもご縁、、、、。
偶然、何十年ぶりかで館長とお目にかかることが出来、
長時間にわたって興味深いお話を拝聴できました。
期せずして入江波光さんの作品や模写についても話が出、これも縁あればこそと感じる出来事でした。
次の目的地へと館を出ると。
濡れた道路、四条河原町
激しい雨に濡れること無く過ごしていたのでした。
京都国立近代美術館での山口華楊展
笠岡市立竹喬美術館で拝見した時と何が違ってどう見えるのか?
広さに違い、展示方針の違いも感じつつ、、、。
裏に回って?細見美術館。
ゆっくり見るには、ぎりぎり入館。
若冲の水墨。どのような順序で、どのような濃度の墨を入れるか、そしてその筆の運び、速度は?頭の中でシミュレーション!しっかり見ることが出来ました。
再び外に出れば、雨の後
濡れずに次の行動へ、
京都も急な冷え込みだったそうで
紅葉が鮮やかです。
カモがスイスイ
そうそう、京都近美!、コレクション・ギャラリー展示
竹内栖鳳「秋興」?むちゃくちゃカモが上手かった!!。
そういえば西村五雲のこのウサギ、最近どこかで見たと思ったら、
華鴒大塚美術館の2007年特別展のカタログ「画家たちの挑戦〜動物を描く〜」で見たばかり。表紙の山口華楊さん作「幻化」、橋本関雪の「霜猿」も再び?今回見ました。
そう思って、、、、カタログを見返していると、、
竹内栖鳳の「熊」、ついこの間、東京の山種美術館で見たばかり。
つながるときはつながるもんです!!。
犬の散歩のためにも早い帰宅を!!
京都駅までタクシー。
なんと偶然乗り合わせたのは、四つ葉のタクシー 記念乗車券をもらいました。
親切な運転手さんで駅まで京都案内付き!
最後も?京都タワー
2012年11月12日月曜日
落葉
今年は早くから山茶花が咲いていましたが、白いこの種類は今が盛りです。
庭の紅葉はどんどん進み、紅葉は赤が鮮やかになりました。
コナラ、栗、葉が黄色くなったかと思う間もなく落葉です。
ホトトギスもそろそろ最後
昨日は日帰り徳島でした。
雨が降ったりやんだり、一時はかなり強い降りになりました。
雨の中、霧の眉山方面
徳島県立近代美術館
目的は「墨と紙が生み出す美の世界展」
徳島の児童生徒、墨による作品展
「墨の美しさを実感した子どもたちによる墨の絵」
も見ることが出来ました。
家路は暗くなってから、雨の高松道、運転、怖かったです!!。道は暗くて見難く、対面通行、対向車のライト、後続車のライトが眩しくて、、、、。
瀬戸大橋では事故渋滞にあいました。
どうにか無事に帰ってこられましたが、夜の運転が辛くなってきた我が身を感じる往復320kmの運転でした。
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