2012年12月18日火曜日

仮面 演ずること2


使わなくなった炉壇をいただき、
我が家に茶室らしきものが出来たことはすでに書きました
引きあうようにして、今度は茶釜を

縁というのは不思議なもの   良い風情


先日、アメリカからのお客様を案内して高梁・頼久寺を訪れたおり
ご住職の御好意で、お茶を点てていただくと共に
その場での茶道講座となりました

日本文化、通訳してくださる方の言葉に「あぁ、(こんな単語を)こんなふうに使うのか、、、」と、教えられることしきりでした


庭の砂の模様
「季節によって変わるのですか?」というアメリカからの客人の質問に感心してみたり
(隙なくデザインされたそれは、基本的に変えることはないそうです)

コミュニケーションということを思いました


さて、平田オリザさんの話の中には「人格をタマネギに例える話」なんてのもあって
<タマネギはどこまでが皮でどこからがタマネギということはない、皮の総体がタマネギ 同様に我々は生きていく中で様々な仮面を被っていて、その総体が人格>
<日常生活において「演じる」ということを自分を偽るといったイメージで捉えるために苦しく感じる日本人>
<誰もがそれぞれの場でなにかしらを演じている・その場に応じて自分の役割を演じ分けている>

<「いい子を演じるのに疲れた」という子供に「本当の自分をみつけなさい」というのは、大人の欺瞞:演じるのに疲れない子を育てるのが教育の役割><いろんな場面において、いろんな役割を演じ分けられるようになる。それが大人になるということ。>と続く、週刊文春の対談記事(12月13日号 阿川佐和子のこの人に会いたい )

最後の部分で、おおッ!てなりました。



記事では、平田オリザさんが感じたこの国の演劇、台詞への違和感についても触れられており、その原因として「明治日本が西洋演劇の輸入の仕方に失敗したから・・・・」と続きます。そして、「普通に喋ることとは?」とそもそものはじまりにもどって探す試み、、

<哲学は異なる概念をすり合わせるためのものだった>
<演劇は異なる感性をすり合わせるためのものだった>

<演劇というコミュニケーションの手段が共同体を支え、民主制を支えた>

「ダイアローグ(対話)が必要なとき、必ず演劇の必要性はます」
※ 週刊文春の対談記事(12月13日号 阿川佐和子のこの人に会いたい)より


良い子供の仮面
良い親の仮面
良い人の仮面

やんちゃな仮面
悪い人の仮面
ヒーローの仮面
芸術家の仮面というのもあっていい

もちろんなりきり俳優というのもあり

「芸術家になりきる」ことを目的とする教育、
そのために必要な「技術」、
具体的な取り組み、言語化

てなことを、考えたのでした。

2 件のコメント:

奥倉 賢二 さんのコメント...

森山さんこんにちは

仮面ですか?「ペルソナ」ですね。
本物の君です。仮面が作るのは短い時間の
役割です。でも、継続は人に本来の役割を
気づかせるものです。君は教育者としての資質が若い時からお有りでした。それは聞き上手だと言うことからも感じます。

君の「行動と言葉が必要な時代が来たのです」

moriyama さんのコメント...

奥倉さん、お久しぶりです。コメントをありがとうございました。
「継続は人に本来の役割をきづかせる」
なかなか深い言葉ですね。ありがとうございました。
寒さが急に強まりました。お体ご自愛のほど。