2009年3月30日月曜日

夜明け前

世の中はどんどん厳しくなるばかり。
お金に縁はないけれど、せっかく依頼の講座です。
この機会を縁にと基礎的技法をまとめるページを作成中。
時代ですから、なるべく画像を使ってみてわかるページ構成をと考えています。
久々にベクターベースの画像制作ソフトを使ったり、デジカメに凝ってみたり。

4月に始まるわけで、ある程度それまでにと思っていますが、
なかなか進みません。

基礎的な部分が一番大事。
まあ、ネットですから、必要なところ、役に立つと思うところからお使いいただければ幸いデス。

一段落つき、さあ寝ようと電気を消せば、
窓の外がうっすら明るくなっていました。

夜明け、太陽の出る直前の光。こんな色もいいなーと思うのでした。

2009年3月27日金曜日

半田山植物園


満開の桜には少々早かったけれど、ふと出来た時間、半田山植物園に出かけました。
花の盛りを過ぎた椿の下。
鳥がついばんでいる姿。

踏まぬよう、よけながら歩きます。
白い椿、ピンクの椿、赤い椿。

斑入り、八重、一重、壷咲き。

出口付近で明日からという椿の花、品種を紹介するコーナーの準備途中を偶然拝見。
品種改良の話。

昔聞いた「椿狂い」の話など思い出します。

椿が時間をかけて土地になじむ話。
実生の椿が花をつけるのに4年かかるという話。
世話をしすぎるのもよくないという話。

教えてくれてありがとう。 おじさん。

ミモザ

ふとあたりを見渡せば、鮮やかな色が目に飛び込む季節に成って来ました。
ここ吉備高原が輝く季節です。

春は雨の日が好きです。
灰色の中で見るピンク色の桜。
緑の葉が濡れて鮮やかな深さを見せてくれます。

サクランボの甘い香り。

梅の香り。

水仙の香り。

散歩の楽しい季節になりました。

2009年3月22日日曜日

アセビ

雨が降ったり止んだり。
夜に入ってどうにか雨もやみ落ち着いて来たようです。

今日は地域の一斉清掃日。朝、集合がかかったのですが、雨のため一週間延期されました。
清掃作業用の服とせっかく履いた長靴。
自主的に伸びた笹を刈ったり、道路脇を掃除したり。

ふと見れば、そこここにアセビが満開です。

2009年3月20日金曜日

夜明け

夜明け前にひとしきり降った雨もあがり、雲が流れています。
つい仕事をして朝になってしまいました。

今はまだ枝だけの山桜の上に月が輝いています。
左手は、明るくなり始めた東の空。

昨日は暑いくらいの陽気でしたが、今日は冷え込むとか。
ただし、今外に出たところ、それほど寒いとは思いませんでした。

確実に季節は変わっています。

2009年3月18日水曜日

久々に月


月の出が遅くなり、一番高く昇るのは午前4時過ぎ。
画像は昨日撮影したもの。

この書き込みをしている18日午前4時30分
月は下弦の月になっています。

今日は流石に撮影せず、寝ます。
今日の方が空は澄んでいるみたい。昨日はすこしもやっていました。

ちなみに、画像をクリックすると大きく表示出来ます。

古い本を引っ張りだして眺めていると、確かに昔読んだはずなのに、
いまさらのように言葉の新しい意味に出会ってドキッとしたりします。

今のように読めるのに30年かかったとは。
やっぱり、奥手です。

2009年3月8日日曜日

寝顔

よく寝るようになりました。
カメラを向けると気配を感じて起きてしまいます。

幸せそうな寝顔をゲット!と行きたいところですが、なかなかどうして撮らせてくれません。
けっこうな歳です。
穏やかになったものです。

2009年3月5日木曜日

雲海

ふと見ると、雲がわき上がっていました。

2009年3月3日火曜日

仕事場から見える風景

昨年、思いきって木を間引きました。
自然の木を切る事がなんとも心苦しく、荒れるにまかしていたのですが、風通しも含めて考え、少しだけ切りました。
シンボルのコナラの木がよく見えるようになり、この枝越しに夕日を見ます。

どうしてこんな形が出来上がるのか。
そんなことを思います。

街で見ていたときとはまた違った目でこの雪の風景を見ている自分を感じます。
街でも好きだったのですが、

「好き」の質の違い。

雪の小道


木々が茂り、通れなくなっていた小道。
つい先日、下狩りをしました。

降り積もった雪。
明るい場所はほとんど溶けましたが、木々の間は未だ残ります。

しんとした空気、静けさ。

雪を踏みしめる音を聞きながら歩きます。

思い出

明け方から降り始めた雪は、重い春の雪。
起きた時には10センチ近く積もっていたけれど、日中にはかなりの部分が溶けました。

瀬戸内海のすぐ側で生まれ、高校までを過ごしました。

小学生の頃、降り始めた雪にあわてて山から来ている友人たちが学校で集められ、集団下校したことを覚えています。
降り積もると家に帰れなくなるためでした。

雪が降れば学校で雪合戦。

福南山という峠が児島と倉敷を隔てる場所にあるのですが、この峠に降った雪で児島側からの車が引き返したことがあるとか聞いた事があります。

中学、高校時代を過ごすなかで、雪の印象があるのは不思議と小学校だけ。

学校、友人との思い出、両親との記憶、曾祖母や曾祖父との会話。出来事。
近所の事であったり、家の中での事であったり、はたまた何処かへ出かけてのそれぞれは、

思い出せる記憶

懐かしい記憶、思い出の記憶とは、第三者の目線でその時の自分自身を思い出せるからあるのだとだれかが書いていました。

人間の細胞は、毎日のように新陳代謝が行われ、それは脳も例外ではなく、細胞自体が何かを記憶しているわけでは無いそうです。
神経節でしたっけ?脳を構成するネットワークが繋がり、それがなんども繰り返し使われるからこそ、記憶が残るのだとか。

繰り返し、繰り返し行われる反芻。

忘れたい記憶も同じようになんどもなんども思い出す自分がいるからこそ脳の中に残るのですね。

個人的には、細胞一つ一つにも何らかの記憶があり、そのことをふとした瞬間に思い出しているのではと妄想してみたり。

覚えておきたい事がはたして覚えていられるかどうかが気になる今日この頃です。