2013年5月25日土曜日

夏の衣装に


ミヤコワスレの花が今年も咲いています
一本から始まり、いつのまにか数を増やしました

椿の根本 あじさいの脇、アオキの裏、ウツギの横
それぞれの植物に見え隠れしながら咲いています

紫と黄色、補色のコントラスト 
色彩心理では、優しさの色 「甘え」のイメージ色に分類されていたように思いますが、真っ直ぐな茎、かっちりとした葉の形、凛としたこの姿には
しっかりとした意思をもった着物姿の美人を思います

そんな人がたくさん
これはこれで迫力のある光景ですね



我が家の庭に自生しているエゴノキ
二本ありますが、開花の時期は微妙に違います
朝、早くに陽があたる位置にあるほうが早く咲き出すように見えます
長く花を楽しめるのは木陰にある方

クマンバチの羽音が響きます

地面に目を移せば
こんもりとした土盛がいくつも目につきます
真新しい土の色
もぐらの活動が活発なようです

掘り起こしたタマネギ 大きな玉にはなりませんでしたがはじめての収穫がありました

木立の中にはヤマツツジのオレンジ色が低く見え隠れしています
少し開けた場所では、いつのころからか咲くようになったマーガレットが勢力を伸ばしているようです

これから成長するヤマアジサイの花の部分が目にとまりました
ウツギの蕾がおおきくなっています

こうしてパソコンのキーボードを打っている脇の窓から見える風景
開けた窓からのあまい花の香がふっと通り過ぎていきす

遠くでチェンソーの音
オリエンテーリングの子どもたちの声

土曜日の朝 お天気 今日も熱くなりそうです


2013年5月19日日曜日

5月の緑


淡い緑と濃い緑
ついこの間まで鮮やかなコントラストを見せていた山の姿が
統一された姿に変わって来ました

吉備高原都市周回道路の植栽 ツツジが満開です
ピンク、白、斑入り 葉の緑とのコントラスト

デッキの上に緑の葉が覆い
嬉しい木陰


雨の一日、白い花が輝きます



エゴノキの花がやっと一輪咲きました
これからどんどん咲くことでしょう



レモンの蕾が今年はたくさんつきました
一番目に咲いた花と二番目の花

雨の日曜日 ちょっと肌寒い緑輝く一日でした

2013年5月11日土曜日

雨の土曜日


淡い緑がここ数日で急に色を深めてきたように感じます

新しい淡い緑と常緑樹の濃い緑のコントラストを楽しめるのもあと僅か


いつもの年よりたくさんの花を着けて楽しませてくれた我が家の椿
まだ蕾もあるものの、葉の新芽に主役の座を譲りました

雨が降ったりやんだり
濡れた色が輝きます



ふと気づくと雨の中、シャクナゲが咲いていました


コナラの葉も大きくなり、色を濃くしています
モミジの淡い緑、モロマツの新しい葉の色
サツキが咲いています。

吉備新線、後楽ゴルフ場付近の道路沿いに植えこまれたツツジが満開です
吉備高原都市内のツツジはこれからが本番といったところ
我が家のミヤコワスレが花びらを伸ばし始めました

2013年5月4日土曜日

テレビドラマと季節




柔らかな色合い 多様な緑
この季節ならではの光景がひろがっています

とりたててなにがどうこうということは無いのですが、毎年のことながらじっと眺めて飽きません 総体として感じるこの感覚が良いのです



さて、タイトルの「テレビドラマ」について

めったに見ることはないのですが、たまたま見たおり最近の番組作りについて、こんな風になってしまったのかと残念に思うことが増えたように思うのです

話のストーリー、脚本に関わること、出演者の技量の事などについては、目の肥えたその筋の方々、マニアの厳しい批評眼があると思いますので、わたしなどがそのあたりについて何かを言おうということもない無いのですが、

昔だったら、番組制作に関わる誰かが気づいて映像的にきっとやらなかっただろうと思う数々を感じるのです もちろん、それが意図的に行われた現代の表現と言われてしまえばそれまでですが・・

自然に対する感覚、実感といったものに対する理解があまりに無いように感じる映像が気になってしまい興ざめてしまうのです・・・・だったらプログラム内に自然を取り込もうとしなければよいのに、、、。

制作コストの問題かもわかりませんが、作り物を使うにしても、あまりにうそ臭いモノを無自覚に使っているように見えるのが気になるのです・・・・・だったら、使わずに表現する方法を考えれば良いのに、、、。もしくは、作り物自体が意味を持つ、表現として耐えられる番組作りになっていればと思うのです。

いかにも使ってますと言わんばかりのイコライズされた色合いも同じです過剰さが違和感になるのです

昔作られた映像を見て気になることが少ないということは、そういったことが気になる作り手が現場から減ったということになるのかもわかりません もちろん映像のハイビジョン化というのもあるのかもわかりませんが、、、



設定されていると思われる季節感の表現についても同様です
昔は放送局も余裕があったのか、冬の季節のドラマは冬に、春は春にといった放送時の季節感に併せて番組を流していたように思います
制作に屋外のロケ撮影があれば一年寝かして、次の季節を待って放送なんてこともあったのでしょう また、諸処の事情、最悪、異なった季節に撮影なんてことになっても、辻褄の合わせ方がもう少し巧妙だったように思うのです

再放送の常態化もあって最近では番組放送時の季節感なんてのはあまり気にされなくなったのかも分かりません


これらそれぞれの原因について、うがった見方かもわかりませんが、現在、制作の現場にいらっしゃる方々の自然との関係の作り方、またその遠因としてその方々が育った環境とも関係しているように感じるのです

美しい日本の自然、その自然を大切にし、共に暮らす価値観
この国に暮らす者の共通認識としての自然への実感といったものが、都市化、バーチャルなものの増加によって、それぞれの場でどんどん薄まり、また、マスメディアによる記号化・消費の常態化によって、当初は問題回避、方便として行ったことまでもが全てがごく当然のことになってしまう



<日本画>と呼ばれる存在について考えることは、しらずしらず結果的にこの国について考えること、この社会について考えることにつながるのでした・・・