2013年5月4日土曜日

テレビドラマと季節




柔らかな色合い 多様な緑
この季節ならではの光景がひろがっています

とりたててなにがどうこうということは無いのですが、毎年のことながらじっと眺めて飽きません 総体として感じるこの感覚が良いのです



さて、タイトルの「テレビドラマ」について

めったに見ることはないのですが、たまたま見たおり最近の番組作りについて、こんな風になってしまったのかと残念に思うことが増えたように思うのです

話のストーリー、脚本に関わること、出演者の技量の事などについては、目の肥えたその筋の方々、マニアの厳しい批評眼があると思いますので、わたしなどがそのあたりについて何かを言おうということもない無いのですが、

昔だったら、番組制作に関わる誰かが気づいて映像的にきっとやらなかっただろうと思う数々を感じるのです もちろん、それが意図的に行われた現代の表現と言われてしまえばそれまでですが・・

自然に対する感覚、実感といったものに対する理解があまりに無いように感じる映像が気になってしまい興ざめてしまうのです・・・・だったらプログラム内に自然を取り込もうとしなければよいのに、、、。

制作コストの問題かもわかりませんが、作り物を使うにしても、あまりにうそ臭いモノを無自覚に使っているように見えるのが気になるのです・・・・・だったら、使わずに表現する方法を考えれば良いのに、、、。もしくは、作り物自体が意味を持つ、表現として耐えられる番組作りになっていればと思うのです。

いかにも使ってますと言わんばかりのイコライズされた色合いも同じです過剰さが違和感になるのです

昔作られた映像を見て気になることが少ないということは、そういったことが気になる作り手が現場から減ったということになるのかもわかりません もちろん映像のハイビジョン化というのもあるのかもわかりませんが、、、



設定されていると思われる季節感の表現についても同様です
昔は放送局も余裕があったのか、冬の季節のドラマは冬に、春は春にといった放送時の季節感に併せて番組を流していたように思います
制作に屋外のロケ撮影があれば一年寝かして、次の季節を待って放送なんてこともあったのでしょう また、諸処の事情、最悪、異なった季節に撮影なんてことになっても、辻褄の合わせ方がもう少し巧妙だったように思うのです

再放送の常態化もあって最近では番組放送時の季節感なんてのはあまり気にされなくなったのかも分かりません


これらそれぞれの原因について、うがった見方かもわかりませんが、現在、制作の現場にいらっしゃる方々の自然との関係の作り方、またその遠因としてその方々が育った環境とも関係しているように感じるのです

美しい日本の自然、その自然を大切にし、共に暮らす価値観
この国に暮らす者の共通認識としての自然への実感といったものが、都市化、バーチャルなものの増加によって、それぞれの場でどんどん薄まり、また、マスメディアによる記号化・消費の常態化によって、当初は問題回避、方便として行ったことまでもが全てがごく当然のことになってしまう



<日本画>と呼ばれる存在について考えることは、しらずしらず結果的にこの国について考えること、この社会について考えることにつながるのでした・・・




0 件のコメント: