2012年7月10日火曜日

東京との違い 今はここまで


ここで暮らそうと決めた時
目にとまった木です
石と石の間に生えていたこの木に惹かれたのです

まだまだ石との間には隙間がたくさんあり、今の丁度半分くらいの太さだったと思います

ここでいっしょに暮らした年月 隙間一杯の太さになりました
はたしてこれからこの石の狭間を押し広げながら成長して行くのかどうか


ここの所のいろいろな報道

昨年の震災、放射能の事
まだ解決とはとても言えない状態の中、
次に来る何かに対する不安


ここに越して来たのは、阪神・淡路大震災の翌年でした


思えば、絵を描き続けて行く上で考えるもろもろに加え、都会で暮らし続けて行く経済的な事も考えてというのももちろんですが、

都会で暮らす事に漠然とした不安を感じての行動(転居)だったようにも思います。

地下鉄サリン事件、日常使う住宅街の駅で起きた殺傷事件、
理不尽な犯罪に巻き込まれる事
緑多い場所、変化の少なそうな場所を求めて暮らす場所を決めていたはずなのにその生活空間の変化

すでにバブルと呼ばれた狂乱は過ぎ去っていましたが、
変わって行く東京の姿でした

仕事(経済的な事)に関する不安はもちろんありましたが、どこかで心の安定を求めてといった事があったのだと思います。


 経済的には厳しさをますます感じる(本当の所は解りませんが、東京でも同じだとか、、、)ことになりましたが、いろいろな方々に助けられ、どうにか描き続けています。

求めた「時間の流れ」を変える事については、
引っ越したから変わるといった簡単なものでは無い事を知ることとなりました

気になった光の違い、色の違いにも慣れ
縁あってこの岡山の各地を回る仕事もできました

自然は変わらないようでいてどんどん変化しています
でも、、、、変わっていない。

大きな木が枯れれば、また新しい木が大きくなります。
次の準備がいつの間にか行われているのです。


古くなったら、新しくすれば良い
確かにもっともな話ではあるのですが、、、

目の前にあるこのおおきな石
はたして何時からこうしてあることやら


都会の瞬間だけを切り取ってつないでいくような面白さも魅力的です
キラキラとした旬の存在



絵を描くときの水の性質、生まれる時間というのは、平安時代も江戸時代もそして今も変わらない
この時間を手がかりにすることでどこにいても、何時の時代に生きていてもリアリティーを持った変わらない何かに触れられる様な気がしています。

いつかはこの身の終わりを迎える
使い古された言葉かも解りませんが、年齢は財産と素直に言える様な学びのあり方、生き方なんて事を思う今日この頃


いくつかの取材を受けました
この場所に暮らす事について、また暮らした事によってなにが変わったか、


確かに経済的な事とか、厳しいには違いないのですが、おもしろがって生活を続けられている様には思います。

今はここまで

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