2011年6月12日日曜日

貧しい生活と命

緑は濃く、うっそうとした茂みになりました
今日は雨、降り続いています

現在進行形の東日本大震災とフクシマで起きている原発に関わるさまざまなこと、気になるというより避けて通れない話です

否応無く日本という国の今と、そしてこれからとが無関係で無いことを感じます

十数年前、東京を離れる決断をし、この山の中での暮らしをはじめました。
あのおりの決断は、自分自身の探していることと向き合う為に必要だったからでしたが、これはあくまで私個人の話。


震災以後、見聞きする話の中に、「故郷」をテーマとするモノがあります。
生まれ育った場所にもう住めないということを否応無く受け止める必要がある方々がいること。また、そのことに過疎の話や限界集落の話をからめ、社会保証的なコスト面からその方々を一カ所にまとめ、先進的なコンパクトシティーをなんて話が語られていたりします。
はたして「ふるさと」とはどんな場所なのでしょう。

田舎が「自然豊かな場所」かどうかはわかりませんが、人口減少社会では否応無く人の住まなくなった山里、村なんてのが増えそうです。確かに人が住まなくなったそこは、自然豊かな場所になりそうです。

安全の為に原発を止めると、電力不足や、電気代が高くなるようなことが起きるのだとか
電気代が高くなると、企業がモノ作りをするのにますますこの日本が適さなくなる、、、、。すでに人件費も高いから。

「企業がこの日本から出て行くと国内の仕事も無くなり、貧しい生活を受け止めざるおえませんよ。」
「原発を止めろ!ッて、言ってる方々は、その事わかってるんでしょうね。」

「命が大切って言っている方々は、貧しい生活でいいんですね」と、言っている様に聞こえます。(私の理解力が無いからかもわかりませんが、、、)

一方で、
「命が大切じゃないですかッ!」
「生きていてこそでしょ。」

て、話を聞きます。

ところでそもそも豊かさの定義ってどうなんでしょう?
また貧しさの定義ってどうなんでしょう?
そんなことが気になります

日本という国に生まれたこと、
日本語を使ってものを考えたりすること、文化の話。

企業の偉い方(と思われる日本人の)が「(コストを考えると)日本から出て行かざるおえない」と発言される。株をやられている方が「当然」と、仰る事ももっともと思う反面、国ってなんなんだろう?ッて、考えてしまいます。

震災のおり、日本人の普通の方々の振る舞いに賞賛の声が海外からあったとか、
モラルがあって安全な国のイメージが、地震、津波、放射能の危険な国と思われ、敬遠されて来たとか、、、、。


異なる国、文化からこの日本を認めてもらうとうれしく思います
出来る事ならいいな〜と思う場所、国に住みたいものです。
人間の力でどうしようもない力というのが存在することも認めざるおえません。
一方、人間の力で良い方に変えて行く事が出来る事もあるはずです。
この「良い」がどんな方向なのかを見定め、そして多くの人々で共感、賛同を得て変えて行く努力。

「教育」が、大切とは思う所ですが、はたしてこの「国」は、これからどんな姿になろうとしているのでしょうか。


※、一枚目の画像は、アトリエ南面の緑の様子、二枚目の画像は、雑草の中にいつの間にか実ったイチゴです。

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