2015年11月15日日曜日

冷え込みと霧


空が高く感じられる季節になりました
画像は、先日井原で見た夕焼けです

建物の配管でしょうか 横一文字が印象的でした



夜の冷え込みとともに
日が出てからの急な温度差によって霧、雲海がよく見られるようになりました

すでに葉を落としてしまった木もあれば、やっと黄色く色づき始めたものもあります


「グローバル化」とか「国際化」といった言葉を聞かない日は無いくらいになりました。さて、これら言葉の使い分けといったものがあるのでしょうか・・

いつだったか目にした解説で印象に残っているのは、

1:「グローバル化」とは、国家を越えたルールを同じくした世界への仲間入り
2:「国際化」とは、それぞれの国家・文化の違いを認め合う土俵に立つこと

(※私の主観がかなり入ったまとめ方です・・・・)

さて、これら理解が正しいかどうかはさておき

違う文化との出会いを求めて観光に行ったり、他所の国で自国文化を紹介したりすること、また同様に異文化の国から訪れる方々との相互理解を深めるための環境づくりや、対応といったことを国際化といえばよいのかもわかりません。あくまで「違う」、「異なる」ことを認め合うこと、知る事に意味があるように思います。

一方、グローバル化とは、ビジネス、お金のニオイ(笑)がするような気がするのは私だけでしょうか。対個人であろうと企業間であろうと、また国家間であろうと、ある意味で垣根(国境、文化の違い)の無い世界で安心して取引できる環境づくりとなるのかもわかりません。

さて、、、、、今日、何故こんな事を書き始めたかというと、
ある著名な芸術家の方が書かれた文章を目にした時にちょっとだけ違和感があったからなのです。

<<(記事部分引用 )「日本美術」とは、独立した日本固有のものではない。絶え間なく流入する異文化の混在として、それはある。だとすれば、もはや内と外(国内と海外)という区別に、さほどの意味があるとも思えなくなってくる。(引用終わり)>>

確かにそうなのかもわかりませんが、ならば何故、いまも人は旅をするのでしょう。
何故「戦い」は、無くならないのでしょう

・・・「美術」と呼ぶものの定義に関わってきますね・・・。

「近代国家を論じるときに共通の地域性、自然観を元にした価値観を持ち出すことは古い」とか、「既に伝統的な自然観はなくなった」とかさかんに言われていた頃があったように思い出します。全てではないにしろ、何世代にも渡る長い年月、植物の生育が特別な努力をすることなく生育するような自然、潤沢な水資源も多く認められるこの国で育つこと、暮らすことがもたらしたものは、やはりなにかあるように思うのです。

「日本画滅亡論」なんてことが言われた頃が有りました。
確かに私が「古い」のかもわかりません。

企業での公用語を英語にという話も聞いたりします。

「学問」とは、多くの人がもっともだと認めること、もしくは普遍的なことを研究することだとか。「美術」・「ART」、それぞれが指し示すものとは何か。
そしてそれに「日本」という国の名前が加わること。

民俗学という学問も有りますね。

この「日本美術」という言葉が指し示す存在、かつてあったと思われた存在なのか、それともこれからもあり続けるのか・・・・。

たまたま「日本画」、国の名前のついた絵、画という言葉と出会ってしまった故の悩みでしょうか・・・。出来ることなら意味のある言葉としての存在を見つけ、また定義できるような制作を行いたい思うのです。

大きすぎるテーマ?な話はさておき、、、、、、
国内だけに限ってみても、地域興し、地域振興なんて話にも、こういった事、考え方はもしかしたらつながるようにも思うのです。そのために出来る事として、歴史の見直しもひとつのヒントになるように思うのです。

何かしら「違い」を演出する工夫?といったものも、観光客を呼びこむためには重要になるのかもわかりません。



今日は久々の日差し 青い空が見えています

そうそう、先日たまたま見たTV番組、「縄文」を扱っていたのですが、狩猟と農耕、それぞれに対する考え方がもたらすもの、またこの国の自然環境が当時もたらしたものについての考察、大変興味深かったです。狩猟によって定住が出来る自然の存在、この国の文化を考える上でも新たな結びつけにもつながるアイデアになりそう、そんな番組でした。



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