2013年11月11日月曜日

二極化の行方


戦後の経済発展、あるころ一億総中流という言葉を聞きました
また「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんてキャッチフレーズも聞きました
その後「バブル」なんて言葉も生まれ
今では「失われた20年」なんて言われたりもしています

そしてその後の世界


ニューヨークからのアートマーケットに関するレポートを紹介する文章を読みました
投資対象としてのアートという意味付けが以前にもましてより強くなっているのだとか

世界のアートマーケットなんて知ったことでは無いという思いもある反面
この国内でも人ごとではない動きをつねづね感じる事が多くなった気がします


確かに日本国内でも一時、投資対象としての美術、アートという紹介方法によって、マーケットを拡大していた時期があったように思います。

銀行の利子よりも、株などの投資よりも
より大きなリターンが期待できる投資先としてのアート
加えて飾ったり、身につけたり、見たり、見せたり、楽しむことも出来る存在

それ以前より芸術を楽しむことが出来るのは、大人の必要な素養、教養ともされていたこともあり、戦後の豊かさの享受とともに多くの美術ファンが生まれ、美術を志すことに対する理解も広がりました
たくさんの豪華な美術全集が出版され、新しい家の書架を飾ったのです
もちろんアートを扱う雑誌も数多く生まれました

子供が美術を志すことに対する理解
美術大学、音楽大学も増えました
学べる場所の門戸は広がったのです


豊かさに浮かれていた頃、アメリカの会社でのサラリーのありかた、それもとてつもない高報酬の情報を知った人々から、<個人の能力に応じた対価を得るのは当然だ!>と、それまでの終身雇用、年功序列による給与体系に対する異議の声が上がったのです。
実力に応じた成果給、能力給と言えば聞こえが良いのですが、後にそれがとも厳しい世界であることを実感することにもなりました。

テクノロジーの進歩は多くの新たな仕事も生み出しましたが、
それまでの一般的な多くの「職」を奪うことにもなったのです

「一億総中流」と呼ばれた「中流」とは、はたしてどんな層を指す言葉だったのか
日本に戦後生まれたアートマーケットの姿がはたしてどのようなものだったのか
またそれまでとの違いは何だったのか


レポートを紹介していた方は
お金持ちとそうでない人、二極化はより極端な姿となる
国内アートマーケットもこの二極化に準じた姿になるだろうと結んでいました

世界市場での投資にふさわしいそれかどうかを問うようなお金持ちのマーケットと、
ごく身近な消費財としてのマーケット


美術、アートを楽しむことが出来る
確かに素敵なことです
しかし、それを支えていたある種の豊かさ
おおらかな世界がもし次第に無くなっているとしたら・・・


大切にしている事、大切だと思うことを伝え、多くの方々と共有する必要性をより感じる今日このごろです。
 

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