2012年8月17日金曜日

心を変える

 何かを感じる
楽しかったり、寂しかったり、好きだったり、嫌いだったり

ひとそれぞれとはいうものの
育った国の自然風土、言葉、社会

確かなものではないかもわからないけれど、関わることによっては
朧げな何かによる時代を超えた幸運な連なりを感じることもあったりします

 「美術を学ぶ人へ」という佐藤忠良さんの文章を読みました。

「感じる事」と「知識」、「芸術」と「科学技術」

引用(部分)> この芸術というものは、科学技術とちがって、環境を変えることはできないものです。
 しかし、その環境に対する心を変えることはできるのです。詩や絵に感動した心は、環境にふりまわされるのではなく、自主的に環境に対面できるようになるのです。<引用終わり>

この言い回し、言葉の使い方、読んでいいな〜と素直に思いました。


さて、写真の世界。
カメラもデジカメとなりました。いろいろなユーザーアシスト機能も付加されたカメラが低価格で販売されています。昔、シャッターを押すのをためらった、貧乏性。フィルム代、現像代とか、大判のプリントなんてものも家でプリントアウト出来る様になって、試行錯誤のコストも下がり、ずいぶん敷居も低くなったように思います。

「無駄をしたくないという思い」からの解放

構図とか諧調の善し悪しなどにこだわりの無い画像。いわゆる古典的な価値観に囚われない画像をネットではいくらでも目にします。それ自体をどうこう言う気はありません。表現なんて片意地はらないすでに日常としてのカメラ、画像。

少々ぶれていようが、構図が悪かろうが、狙ったモノ、存在、生き生きとした表情、瞬間。

視線の先にあるもの
カメラの液晶を覗く自分との関係

たくさんの画像、「写ってしまったもの」から「選ぶ」ということ
この選ぶってことがどういう事なのか

何も知らない、、、という事もあれば、
定型を知っているからこその型破りもあれば、あえての定型もありますね。
もちろん狙って狙っての定番もある訳です

「学ぶ」という事がどのように働くのか
他の人の事、やり方を知り、それを受け入れて、それでもなお、、、、と

「私」を確認させてくれるのも「他の人」がいてくれるからこそ

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