2011年4月14日木曜日

体に危険だとわかっていて放射性物質を身近に置く人はいないでしょう。
またそうしたそばに好んで居たいとも思わないでしょう。

だから、遠くに離したり、何重にも危険を回避する為の仕組みを作るのですね。

そもそも危険なものを使うのは、何かしらメリットがあるから。
危険とそのメリットを秤にかけて使っているのでしょう。
その危険がどの程度か、本当に測って来たのでしょうか?
そんなにメリットがあるのでしょうか?


地球上の空気は繋がっています
海も繋がっています。ということは水も繋がっているのです。

空気が無ければ死んでしまいます。
みずが無ければやはり死んでしまいます。

遠いから大丈夫という話ではありません。
人間が生きて行く上で必要欠くべからざる存在なら、それは人間自身の体と考えてよい存在かもわかりません。

「自分自身も自然の一部、そして自然も自分自身の体の一部」

いくら遠くても、そしてどんな姿、どんな存在であろうと何らかの形で関係している。宇宙船地球号なんて言葉がありましたが、これだって人間と地球を分けていますよね。
分けられない「体」、どちらが主でどちらが従と言えない関係。

「環境」って、なんだか都合の良い言葉に聞こえて来ます。
分けられない存在、「体」と考えたほうが良いのかもわかりません。
そんなことをふと思うのです。



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