2011年4月10日日曜日

鍵括弧付きの日本画

2011年4月8日付け山陽新聞「言論」に、宗教学者の山折哲雄さんが3.11に対して「日本独自の風土考察」という文章を寄せていました。

その中で紹介されていた寺田寅彦が昭和10年頃に書いたエッセイ「天災と国防」と「日本人の自然観」からの論考、(記事よりの引用)※<科学は自然にたいする反逆を断念し、自然に順応するための経験的な知識を蓄積することで形成された。そしてそこにこそ日本人の科学や学問の独自性があった>と読み解き、また<日本人の自然への随順、風土への適応という態度のなかに、仏教の無常観と通ずるものを見いだしていた。地震や風水による災害をくぐりぬけることで「天然の無常」という感覚が作り上げられたとしている>※(引用終わり)を読んでいて、確かに震災直後に海外から寄せられた反応、この国の人々の持つ秩序、モラルに満ちた行動への賞賛の答えのように感じたのです。海外の方々にとっては大変特別な姿に見えた、感じられた、、、、一方、その後の原発へのこの国の対応については、批判的なモノが多くなっているそうですが、、、、。


ふと、以下記事へのボチいこのタニヨシ先生のコメントへの答えに少し触れたような気がしました。



記事では、寺田寅彦を<日本の独自の風土を、数千年という長い単位で考えていた>また、<西欧と比較する事によって日本の自然の特質を明らかにしようとした>と、紹介していました。

「日本画」として行う意味とは、
明示的な「西洋」との距離の取り方であり、単なる受動ではなく、相対化する対象を明確にしながら「自分たちだったらこんな風にやるよ」と、自分たちの特質(日本の文化)を検証する意識の強いものでは無かったのか?と思ったのです。
だからこそ、見るべきは、何を「残した」のか!、検証の中で何を発見したのか?が、大切なのではないかと思うのです。


震災直後、海外から被災した方々、秩序ある日本人へ寄せられた感嘆の声。同じ日本人として、何処かで誇らしく思う一方、その後次第にあきらかになる原発についてのニュースを見る度、自然に対する謙虚さを失い、歴史に学ぶことも出来ないままに原子力発電所という巨大なシステムを動かすのは、はたして寺田寅彦が思いを馳せた同じこの国に暮らす人々なのでしょうか?



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