2017年9月10日日曜日

日本について考えること


「畫の本<技之巻>」が形になり、
人様に見て、読んでいただけるようになって数ヶ月が過ぎた

本になるまでのあれこれからいくらか時が過ぎて

より言葉を求めたいことなど
ふたたび出てきたように思う

この繰り返し


通り一遍の説明、解説では納得できず
わからないことであったからこそ

私にとって「日本画とは何か どんな絵を言うのか?」 が、
そもそもの問いになった

国の名前のついた絵画
定義できるような知りうる他の絵画と違う具体的な何かが認められるのかどうか?

それは(私自身にとって好ましいと感じる)この国らしさとは何かについてを、天才の手業のそれとしてではなく、大勢が長い年月にわたって使い続けて来たと思われる具体的な材料や道具、技法といったものを手がかりとして描きながら考えてみることに繋がった

それは結果的に数ある言語の中での「日本語」を考えるようなことなのかもしれないとも思うようになった

その特性について 単語もあれば、文法もある
また時代に沿っての変化も当然ある


乱暴な言い方であることは重々承知
グローバリズムがある意味で流通における価値の統一基準を生み出し、定義していくことなら、その価値を定義するルールメーカーがどのような存在なのかは気になるところ

一方、「人の心」は、日々の暮らしや、慣習、取り巻く環境と無縁では無く、
生活する場、自然環境が大きく作用するに違いない

絵画平面としての新しさを何に求めるか
わかりきったこととして通り過ぎて来た中に、
提案として残すべきものを抽出し、
理解可能な形とすることも必要なことのように思う

抽出するためには「他の事」を知らねばならない 意識せねばならない



「多様性の確保」とは、よく聞くキーワードではあるけれど
はたして違いが何処にあるのか、何であるのかをいい加減にしてのそれは

見るべきものを見えなくし
結果的に大切にするべき存在を失うことに繋がるような気がする



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