寒い夜 夜ふかし。


 ふと外気温計を見ればマイナス表示。室内にいても寒く感じるはずだ。そういえば、暗くなり車をガレージ屋根の下にと動かした時にはフロントガラスが凍りかけていた。今夜はこのままもっと冷えそうだ。

91歳、筒井康隆さんが自伝を刊行したという記事を新聞で読んだ。その最後の方で<(引用)人工知能(AI)に「文学は生み出せない」と断言する。なぜなら「小説家になってやろうという願望が無いですからね。」(引用終わり)>と、あった。余計な言葉がないからか、妙に納得出来ると思った。一方、「小説家になりたい」とはどういう心持ちなのだろうとも思った。


少し前の新聞で”誰もがマジョリティー(多数派)であるほかはない”という文章が気になった。なぜならマイノリティー(少数派)は、主体になれないからということのようだ。当たり前のことが書かれているようにも思ったが、最初の「誰もが」という部分が気になり、文章を読み直すことにした。

お題となっていたのは「公共訴訟が問うもの」とのこと。<マイノリティー性を持つ当事者として意義を申し立てて社会変革を訴える場面はあっても、それは一時的にその該当する問題についての役割を担っているのであって、それが原告の人間性全てではなく、一部分に過ぎない。><通常多くの事柄についてはマジョリティーの中にいて、該当するその場面では、マジョリティーを新たなものに変化させる「媒体」の役目を果たしている>とのことのようだ。通常は、原告もマジョリティーとして応分の責任を引き受ける必要がある。だから、「誰もが」になるようだ。さて、私のこの文章理解が正しいのかどうか。

紙の新聞だからこそ目を止めたように思う記事ふたつ。


日本画の画材は不自由だと思っている人が多いらしい。そんな話を聞く。長くやっていると不自由さの克服が楽しみにかわるということだ。しかし私は不自由だと感じたことがない。そういうものだと思うから。だからといって最初からなんでも思い通りに出来たかというとそういうわけでもない。「こうしたい」と思う何かが自分の中に生まれれば、それに取り組んだ。時間がかかった事もあったが、次第に出来るようになり、結果、思うように出来ると嬉しいという体験が繰り返された。そもそもどのようにあるべきだといったイメージも無かったのだから当たり前か・・・。繰り返す画材とのやり取りの中に面白さとの出会い、奥行きがあったから続いたように思う。本当に不自由だと思えば、別の選択をしたり、新たなものを生み出すことにしたかもしれない。

さて、「こうしたい」がどこからくるのか。

そろそろ寝よう。

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