靴の修理屋
都会で靴の修理屋さんが流行っているという記事をネットニュースで読みました。
靴に限らず、「修理して使う」、良いモノを長く使うのがトレンドになりそうなのだとか。
昔は、皆そうでした
ここで言う「昔」がどの程度昔なのかについて今時は一筋縄でいかないこの世の中。
もちろん、この「皆」もくせ者です。
一時は、消費が美徳とどんどん新しいモノに、まだまだ使えるモノでもリプレース。
そんな頃もありました。
「畳となんとかは新しい方がよい」なんて、言葉もありましたっけ。
パソコンの黎明期、パソコンをそのものがもつ機能で評価するのか、
それとも物質、存在するモノとして評価するのか、
「古いそれ」を使い続ける事が「苦」につながるなんて話になったこともありました。
1年で処理速度が倍々になり、目に見えて出来る事が変わって行く時代でした。
新しいモノの方が目に見えて処理速度があり、一般的に使いやすく、作業上のストレスを抱えなくてよくなったのです。確かに、一般化されるが故のインターフェース上の不便も出て来ました。古いインターフェースの持つ柔軟性の存在。しかし、こちらは特別なユーザーに求められ、新しいハードでそれを提供するOSなんていうのがまたあったりします。
ただし現在では、古いモノ、今使っているモノで充分と満足される方も多くなったと思われますが、今度は、壊れてもいないのに使い続ける事が出来なくなったのです。
パソコンを通して「繋がるサービス」を受け続ける為には、要件を満たす新しいそれに変えて行かねばならなくなったのです
カメラも急激に変化した存在の一つでしょう。
フィルムカメラからデジタルカメラ、ちょっとした事だったら現在なら携帯電話、スマートフォンに付いているカメラで充分になりました。
金属で出来た重いスチルカメラ
モノとしての存在感
道具として使う為に必要なフィルム、現像・焼き付けまで含めたシステム自体が一般の消費の世界から消えて行こうとしています。
いわゆる昔ながらの写真を撮る為の道具から、こちらもまた写真を媒介にしてある種のサービスと繋がることを想定した使いやすさが求められ、使う人間と道具との関係が再構築されて来た様に思います。
Webに求められる機能もしかり。
家、良い家具を何代にも渡って修理しながら使う。
良い靴を修理しながら使う
この身体と付合って行く
人間と付合って行く
生まれた土地、地域、自然
田舎と呼ばれる様な場所
愛着と呼ばれるような「何か」の存在
二人の青年が出身地でもない過疎に苦しむような地域に移り住み、仕事を生み出し、生活し続けられる事を実証する話。
地方、過疎といった言葉は、そのままグローバルに対するローカル、人口減少社会・国家とも置き換えられるようにも思います。ある意味でこの国の「未来の姿」をみるのです。それを認めた上での「持続可能な社会モデル」の実現、実際にそのモデルを作って行く試みを紹介する本があると新聞の書評欄で知りました。
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また、「文化消費」という言葉が目に留まりました。
私の頭の中ではこれら諸々、
私の関係する絵の世界でも価値観を修理して持続可能な形に戻す事が求められているのではないか、、、、そんな事を、ふと思っているのです。
コメント
いつも勉強させて頂いております。
尾形光琳の分析には衝撃を受けました。
中野区在住。
興味を持っていただけてうれしいです。
NHK日曜美術館で、光琳の模写をされていた先生を拝見してから、すっかり先生のファンになってしまった者です。私は絵を描いたり見たりするのが大好きなのですが、絵に関しての知識があまりありませんので、少しでも日本画のことを知りたいと思い、先生がUPされている日本画講座など、多数を印刷しまくりました(すみません)。先生のサイトは、とても勉強になります。展覧会情報は、図録を集めているので、コメントを読んで参考にしています。
先生が、また愛知県で個展を開催される際には、絶対見に行きます!
去年から病気療養中だったので、久しぶりにサイトにお邪魔しましたが、ベアちゃんの写真がUPされていて、元気そうでよかったとホッとしました。我が家にも高齢のニャンコがおります。動物も大切な家族です。元気に・長生きしてもらいたいですね(^-^)
わからない事だらけ、自分の興味の赴くまま、知りたいと思い描き続けています。
遅い歩みですが、サイトをご覧になって楽しんでいただけていれば私もうれしいです。
コメントをありがとうございました。高齢のネコさんにもよろしく^^。