7月18日夜9時頃、南の空高くに見た月の姿です。 ほぼ「上弦の月」、これから眼に見えて日毎満月に近づいて行きます。 撮影に使っているのは、ネットオークションが賑やかになる前に望遠鏡屋さんが放出した古〜いアクロマートの天体望遠鏡。そしてデジカメも2002年に発売されたものです。 「デジスコ」「コリメート撮影」望遠鏡の眼を当てて覗く所、接眼部にそのままデジカメのレンズを押し当ててシャッターを押す撮影方法。 ネットに撮影方法が紹介され、凄い作例、画像がアップされる。 工夫された自作のアタッチメント紹介や、より機動性を増すためのアイデアなど、ネット、ホームページが一般に盛んになるのと時を同じくしていた様に思います。 かくいう私自身も当時そんなコンテンツをホームページ内に作っていました。(現在は一部を残して削除してしまいましたが、、、) 「よい画像」という言葉の中にはいろいろな意味が含まれます。 鳥の撮影では、見事なシャッターチャンスをモノにするというのもある意味で日々の積み重ね、運を呼び込むのも技術です。 構図、露出の選択、確実な撮影。 こういった話の時によく「才能」という言葉を出す人がいますが、「基礎の技術」というのは「普遍性」が認められるから「基礎」なわけで、すくなくとも「基礎」は学べば誰しもが手に入れる事が出来るもののように思います。 「真似しようのない技術」というのも中には確かにあるでしょう。 「技術」なんてどうでもよいという人もいます。 傑作は作れなくとも、多くに人によってそれぞれの世界での「基礎」と呼べるものが共有できているかどうか。 モノ作りでも、またそれ以外の世界でも、現在の息苦しさの原因は、そんな所にあるように思います。 もちろんそれは教育の話にもつながるわけで、 誰もが天才ならば、こんな話は余計なお世話でしょう。 しかしそうでないなら、言葉にする努力、価値観を共有する「技術の言葉」というのも大切な気がするのです。