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広島県呉市下蒲刈島 吉備高原の秋

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蘭島閣美術館での日本画山脈展開催、付帯するアウトリーチで 下蒲刈島の中学校で水墨ワークショップを行ってきました 全校生徒31名 加えて先生も参加してくださったので結構な人数でした 台風の接近、強くなり始めた風にちょっとドキドキ はじめて訪問した蘭島閣美術館 和のテイスト、木造を基本とした作りです 同じ展覧会(日本画山脈)開催ではあるのですが、これまでの新見美術館、また唐津近代図書館ともちがった会場の雰囲気を感じました 近くの無料駐車場から見たお隣の島へ渡る橋 流れの速さ、ざわつく空です 台風が通り過ぎたあとの玄関前 秋明菊が咲きました ふときづけば 白い萩が満開です

山桜の紅葉

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全体としては、まだまだ緑濃い山 それでも変化は見られます 家の裏、北側に位置する山桜が早い紅葉 南側の庭にある山桜は注意してみなければ変化が分からない程度 東側は北側に近い様子 紫色の桔梗がまず咲き、そして白、楽しませてもらいました 紫はとうに終わり、白も最後の一輪になりました 庭に植えた山帽子も5年は過ぎたでしょうか 花を着け、実をつけるようになりました この締まった身体は若い個体でしょうか シジュウカラ 目の前にどんぐり このどんぐり、葉を二枚程度着けて風に飛び立ちます 車の屋根に落ちると結構な音がするのです 以前紹介したアケビの花 立派な実になりました 熟すまでにはあとすこし

日本について考えること

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「畫の本<技之巻>」が形になり、 人様に見て、読んでいただけるようになって数ヶ月が過ぎた 本になるまでのあれこれからいくらか時が過ぎて より言葉を求めたいことなど ふたたび出てきたように思う この繰り返し 通り一遍の説明、解説では納得できず わからないことであったからこそ 私にとって「日本画とは何か どんな絵を言うのか?」 が、 そもそもの問いになった 国の名前のついた絵画 定義できるような知りうる他の絵画と違う具体的な何かが認められるのかどうか? それは(私自身にとって好ましいと感じる)この国らしさとは何かについてを、天才の手業のそれとしてではなく、大勢が長い年月にわたって使い続けて来たと思われる具体的な材料や道具、技法といったものを手がかりとして描きながら考えてみることに繋がった それは結果的に数ある言語の中での「日本語」を考えるようなことなのかもしれないとも思うようになった その特性について 単語もあれば、文法もある また時代に沿っての変化も当然ある 乱暴な言い方であることは重々承知 グローバリズムがある意味で流通における価値の統一基準を生み出し、定義していくことなら、その価値を定義するルールメーカーがどのような存在なのかは気になるところ 一方、「人の心」は、日々の暮らしや、慣習、取り巻く環境と無縁では無く、 生活する場、自然環境が大きく作用するに違いない 絵画平面としての新しさを何に求めるか わかりきったこととして通り過ぎて来た中に、 提案として残すべきものを抽出し、 理解可能な形とすることも必要なことのように思う 抽出するためには「他の事」を知らねばならない 意識せねばならない 「多様性の確保」とは、よく聞くキーワードではあるけれど はたして違いが何処にあるのか、何であるのかをいい加減にしてのそれは 見るべきものを見えなくし 結果的に大切にするべき存在を失うことに繋がるような気がする ブログ更新が滞る中・・・・少し前の夕焼け・月・風・雲