美術鑑賞という言葉がある 作品自体を購入するまでにはいたらなくても 日常的に美術館に行くとか 好きな作家、興味のある作家の画集や、写真集を手に入れるとか テレビや書籍でそういったテーマがあるときには興味をもって見るとか そういった話を聞き 経済の都合によってだけではない思いの存在 そういった方々が、それなりの数、世の中にはいるのだと思うことで こういった世界に関わって生きる事が けっして何の役にもたたないことでは無いと、、、、 いくらかは、思える気がするのだけれど、 特に、今回の震災のようなことがあると、 よけいに必要の無い存在ではないかというようなことをつい考えてしまう。 ビジュアルな存在が社会に意味を持つことは広告などでの利用を見ればあきらかであるように、疑うことも無い。 一方、古いメディアが持っている「何か」「意味」といったことを思う。 新聞で朽木ゆり子著「ハウス・オブ・ヤマナカ」という本の書評を読んだのだけれど、その中の一文 ※引用<美術鑑賞は、猛烈に蓄財に励む上流層が、自己浄化の必須カリキュラムとしてきた> という部分が目に留まった。 「自己浄化」という言葉。 気になる本1(未読です。読みたいな〜と今、思っている所)